一昨日(2017/01/24)は、大変寒い日でしたが、春の訪れが感じられる佳い日でした。 庭の梅が満開でした。虫に幹を食われて瀕死の有様ですが、それでも残っている枝には花を咲かせています。この午後、二人で買い物に出、帰り道で近くの灌漑用の溜池で彼女が水面に白い鳥を発見。 プロミナを自宅から持ち出し観察すると、ミコアイサの群れでした。 白い雄が2羽、雌らしいの8羽。ミコアイサのエクリプスの雄は雌に似ているので、雄の数はもうすこし多いと思います。 一羽の雌?が水に潜ると、2秒くらいして、残りの9羽も一斉に水に潜ります。 20秒くらいで、一羽の雌?が水面に姿を現すと、2秒くらいして、残りの9羽も一斉に水面に姿を現します。 この9羽は同じ方向を向いて水面に姿を現します。 楽しげにこの潜水を続けて行っています。 この日は池には、マガモ、ハシビロカモ、コガモ、ヒドリガモ、オオバン(群れ)、バン、それに鵜、コサギと訪問者が多かった。
嘉永7年(西暦1854年)に起きた「安政東海地震」・「安政南海地震」は巨大地震でした。 始め東海で地震があり、翌日南海にも地震がありました。規模は、両方とも8.4Mと 推定されています。 地震と津浪は、東海・南海に広く甚大な被害をもたらし、これを伝えるものが各地に 残っています。 その一つに、大阪市内、木津川に架かる大正橋のたもとに立つ「大地震両川口津浪記」 の碑があります。
碑は、大阪の道頓堀の繁華街から西へ2キロ半ほど行ったところ、大正橋の東詰にあり、 高さが2メートル近い四角い花崗岩の柱です。黒く汚れているように見えました。 この碑の伝える地震の様子は、 安治川は勿論、木津川別而はけ敷、山の如き大津波が、雷のような大音響 をたてて木津川、安倍川を遡上し、東西・南北の掘割に泥水が押し寄せた。 大小の船が流れ、橋が崩れ、多くの家屋が押し崩されていった。 山のような破船のしたで夥しい水死者が出た。 道頓堀川では、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋が崩れ、大黒橋では大きな船 が横倒しになって塞ぎ、川下から入ってきた船が次々に乗り上げた。 特に、前日の地震、当日の地震で、多くの人々が小船に乗って、家屋の倒壊 の難を逃れようとしていたので、水死者が多くでた。 実は、この地震のあった147年前の宝永4年(1707年)にも同じような地震が あり、船に避難して、大勢の人が死んだ。 年月がたてば、そのことを伝え聞く人もほとんど無く、今また、同じ場所で多く の人々が亡くなった。悔やまれることだ。 地震が起きた時は、船に逃げるな、火の用心をしろ----- この碑は、地震の翌年(安政2年)に、地震とそれに伴う津波によって犠牲となっ た人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐために、地元が立てたものです。 碑文の最後のには、「この石碑の文字がいつも読めるように毎年この石碑の文字に 墨を入れよ」とあります。 いまでも、幸町5丁目の人々は、毎年地蔵盆になると、石碑をきれい洗い、文字に 墨を入れて、お守りしているとのことです。 参考: 寒川旭、「日本人はどんな大地震を経験してきたのか」、平凡社新書、2011年 大阪市のホームページ
財団法人消防科学総合センター
阿房列車ピクトリアル(碑文の全文あり)
飢人地蔵(うえにんじぞう)
博多では毎年8月23・24日両日飢人地蔵尊で施餓鬼供養がある。
享保17・18年(1732・3年)黒田藩では大飢饉に襲われ、農村部
から飢民が福博の街に流れてきた。行き倒れて死んでいった人が多く、
街外れに穴を掘り、死骸を重ねて埋めたという。穴の上には石を置き、
後に地蔵を作って弔った。
この地蔵尊は、今でも、東中洲、千代町、大浜と、昔の博多の外周に
立ち、遠い日の怨恨を伝えている。
東中州は、水車橋のたもとに、川端飢人地蔵堂がある。天明元年
(1781年)に藩主が弔ったとのことで、これは上川端町が世話をして
おり、毎年盛大に施餓鬼供養を行なっている。
千代町は、西門飢人地蔵堂で、博多の東側の西門町が世話をしている。
昭和6年8月24日に200回忌法要を行いと碑にあった。
大浜のは、阿弥陀様の印のある石塔で、寛政2年(1790年)7月の
造である。町のひとが何時も水と花とを供えている。
川端飢人地蔵堂 川端飢人地蔵尊 川端飢人地蔵尊 西門飢人地蔵堂 西門飢人地蔵堂 大浜飢人供養塔 大浜飢人供養塔
街を歩いているとき、交通量の多い交差点でさくらの花に気づきました。 見ると、この道路には、さくら・かいどうと花が満開でした。街のひと が丹精に世話をしているようでした。交差点のさくらの前は本屋さんで 店に入り、雑誌を買い、店のひとにさくらのことを話すと、うれしそう に「もう満開がすぎています」と応えがかえってきました。また、花の したで、引き売りのおばさんがいたので、声を掛けたら、大きな笑顔が かえってきました。東京・人形町を歩いている時のことでした。
東京駅の八重洲口を歩いていたら、一つの花屋さんを見かけました。 通りから路地の奥にある店までの導入路に工夫がありました。 小路に沿った壁のデスプレイが都会の花屋を感じさせてくれます。
九州の各都市には、朝市があります。特に鹿児島市西駅前の朝市は有名です。 ここで毎日の必要なものを買うのが主婦の日課になっています。