この5月末、日本ケルト協会が催した「南九州の縄文遺跡を訪ねる」ツアーに参加した。 福岡発の一泊二日のバスツアーで、鹿児島県の上野原遺跡・県立埋蔵文化財センター、 隼人塚、黎明館・県立博物館、ふるさと考古歴史民族資料館(市立博物館)、尚古集成館、 熊本・御陵貝塚、塚原歴史民族資料館を巡った。 これまで「縄文文化」をしっかりと見ることがなかったので、このツアーで新鮮な体験をした。 特に、鹿児島県霧島市(旧国分市)の北から南に半島状に伸びた標高260メートルの 台地上にある上野原遺跡は、驚きであった。 南に錦江湾、桜島を望むことができる、この遺跡には深い火山灰の推積の中に数千年に およぶ人間の営みの跡が層になって残っていた。 一番下層からは、約9.500年前の櫻島の噴火の前後、この地に人々が数百年に亘る 長い間定住していたと想像される集落跡が出てきた。 52軒の竪穴住居跡と石蒸し炉とされる集石遺構39基、燻製施設と考えられる 連結土抗16基。用途不明の土抗175基以上、道跡2本からなる集落だった。
竪穴住居跡は、特徴があり、平面が隅丸方形か長方形で、竪穴の中には柱穴がなく、 また炉の跡も検出されなかったとのこと。 見つかった石器は、石皿や敲き石、磨石が多く、石鏃や石斧はわずかだったとのことです。 クリやドングリの実といった植物質の食料加工具の出土が注目されます。 また、土器は、平底の円筒形や角筒形土器で、薄く・堅く焼かれていて、「弥生式土器」と いわれるものと変わらないものに見える。 人々は、クリやドングリの混じる照葉樹林の中に、そこには鹿や猪が成育している 豊かな森の中に生活していた。
上野原台地の別の比較的高い区画から、約7500年前の祭りの跡が見つかっている。 最も高い所に、ひとつの穴に口が丸と四角の2個の壺型土器が完全な形で埋めて ありました。その周りには壺型土器や鉢形土器を埋めた11か所の土器埋納遺構と石斧を 数本まとめて埋めた石斧埋納遺構が見つかり,さらに,これらを取り囲むように,日常使用 した多くの石器や割られた土器などが,置かれた状態で出土した。 いまから約6400年まえ、鬼界カルデラの爆発があった。この爆発は約9万年前の 阿多カルデラ、約2万4000年前の姶良カルデラと並ぶ破壊的大爆発であった。 火砕流は海を越え、上野原を襲った。森は焼け、南九州の縄文早期の文化は消滅してしまった。 鬼界カルデラから吹き出た火山灰は「アカホヤ火山灰」と呼ばれ、遠くは関東地方まで降り、 南九州では、40センチから60センチの厚い堆積層となっている。いまも巨大カルデラが 屋久島の北の海中に残っている。 <参考文献> 新東晃一 二00六「南九州に栄えた縄文文化」シリーズ「遺跡を学ぶ」新泉社