itworks/seventies/ 2012 年度
12-12-04 巻向遺跡での発見
奈良県桜井市の外山茶臼山古墳(桜井茶臼山古墳)を見学したときに、北に伸びる古墳の軸線の先には、三輪山が見えた。

後で、奈良の古代文化研究会編、「巻向遺跡と桜井茶臼山古墳」、青垣出版のP107の地図を見てみると、
古墳の軸線の先は、三輪山の頂の西の麓を指しているようである。

しかし、この地図を見ていて、不思議なことに気づいた。
軸線が一見するとバラバラの方に伸びている渋谷向山古墳、行燈山古墳の軸線の交点を求め、
桜井茶臼山古墳の軸線を三輪山の北に引くと、渋谷向山古墳、行燈山古墳の軸線の交点に重なった。
不思議に思い、さらに、箸墓の軸線を後円のほうに引くと、これも渋谷向山古墳、行燈山古墳の軸線の交点に重なった。
さらに、巻向遺跡の建物群の東西に伸びる軸線を東に引くと、これも渋谷向山古墳、行燈山古墳の交点に重なった。

しかしながら、二万五千分の一の地図(桜井)では、軸線が重なるのは、箸墓と行燈山古墳、巻向遺跡の建物群に見える。
渋谷向山古墳の軸線は軸線の交点の北に、桜井茶臼山古墳の軸線は交点の西に向かっているようである。
自分としては、「世紀の大発見」が多少値引きされ残念であるが、箸墓と行燈山古墳、巻向遺跡の建物群の配置には、 造成者の意図があるように感じられた一瞬であった。

12-11-21 外山茶臼山古墳
 奈良県桜井市にある外山茶臼山古墳(とびちゃうすやまこふん)を見てきました。

この古墳は桜井市周辺にある巨大古墳の一つで、墳丘長207メートル、前方部が細長く、全体が柄鏡(えかがみ)形を
呈する柄鏡式古墳である。
古墳時代初期、3世紀末から4世紀初頭の間に造営されたものとされている。
石室内に見つかった大量の銅鏡の破片の中に、13種81枚の鏡が数えられたと、
2010年1月に発表があり、この古墳の存在が注目されている。
私が興味を持ったのは北部九州の匂いです。

桜井までは、大阪より近鉄電車で行きました。近鉄は、桜井で高架になっているので、北の方角に、三輪山と麓にある
箸墓古墳が見えた。この付近には墳丘長200メートルを超える巨大古墳が、箸墓古墳(276メートル)、
外山茶臼山古墳(207メートル)のほかに、西殿塚古墳(230メートル)、行燈山古墳(242メートル、崇神陵と比定)、
渋谷向山古墳(310メートル、景行陵と比定)、メスリ山古墳(墳丘長225メートル)とあり、ヤマオ王権が4世紀にこの地に
成立したことを伝えている。

外山茶臼山古墳は、桜井駅から東に、初瀬街道(国道165号)を1.2キロ行ったところにあり、

 ●三段築成の前方後円墳。前方部は南、後円部は北。
 ●古墳時代前期の3世紀末~4世紀初頭。
 ●墳丘は全長約207m(後円部径 約110m、前方部幅 約60m)。
 ●後円部の頂には矩形壇がある。
 ●段築面には葺石が施されており、墳丘に埴輪を使用した痕跡は無い。
 ●石室全体に高価な「水銀朱(辰砂)」が塗られていた。
 ●石室は盗掘されていたが、様々な鏡・勾玉・管玉・鉄剣などの武器類・玉杖が残されていた。

なお、後円部頂の矩形壇は、縦11.7m、横9.2m、高さ1m、貼石で築かれており、壇の端には壺形土器が並び、
さらに、約130~150本の丸太柱の柵が囲む。

石室内の水銀は約200キロと推定。
後円部のはるか北に、三輪山を望む。
前方部が形細長く、上から見て長方で、応神天皇稜のように撥形に開いていないのは、作成者の考え方の違いと考えた。
すなわち、前方部の高さを応神天皇稜のように後円部の高さと同じにすれば、自然と前方部の端に行けば撥形に開く。
左図:外山茶臼山古墳 平面図           右図:応神天皇稜
外山茶臼山古墳
埋葬者へのお祭りを前方部で行うときに、埋葬者のいる後円部は司祭者の眼の位置から見て、
眼の高さにあるべきと考えれば前方部の端の高さが後円部の高さと同じになり、裾野は広く、
上から見れば応神天皇稜のように撥形に開く。上にあるべきと考えれば前方部の端は低く、
裾.野は広がらず、この茶臼山古墳のように細長く、上から見て長方形となる。

また、北部九州の葬礼との関連は、 (1) 鏡と玉と剣の三種の神器の副葬。 (2) 鏡の破砕。 (3) 石室内の大量の水銀朱(辰砂)。 (4) この古墳の近くに宗像神社がある。宗像神社の総本宮は筑前国宗像に鎮座する。

関連する情報

桜井茶臼山古墳 - Wikipedia
茶臼山古墳
桜井茶臼山古墳 桜井茶臼山古墳 丸太垣


12-04-30 松井孝典、「我関わる、ゆえに我あり」
 松井孝典著「我関わる、ゆえに我あり」集英社新書を読んだ。
この地球惑星物理学者の書いた本は、文章も平明で、新書で厚さも手ごろで、
短時間で読み終わることができた。

この50年の科学の発展・成果はめざましく、我々は多くの智見を得た。

即ち、
宇宙は、137億年前に誕生した。ビッグバンで、一つの点から誕生し、
今の広大・ほとんど無限の空間に成長した。
地球の誕生は、45.5億年前。
人類の誕生は、700万年。
人類が狩猟・採集の生きかたから農耕・牧畜の生きかたを始めたのが
1万年前。
農耕・牧畜の生きかたとは、いわば頭の上にある太陽から与えられる
エネルギーの範囲で人類が生活すること。
18世紀から19世紀にかけて産業革命が起きた。人類の生きかたは大きく変わった。
人間は、石炭、石油といった資源、地球が数億年かけて、内部に蓄積してきた
エネルギーを自由に掘り起こし、利用することを始めた。
それで出来上がったものが、今の文明である。
云々。

近年、地球温暖化、化石資源の枯渇、廃棄物の大量発生に対して「持続可能な
社会つくり」の議論が盛んに行われている。

このなかの、2050年までにエネルギー効率3倍増、自然エネルギー2倍増の
ビジョンなどは、今の文明の恩恵を享受をそのまま存続することが前提となっている
ような気がする。

この著者のいうように、宇宙・地球・生物の歴史を知り、我々とは、すなわち人間とは
何かを知ることが重要となっていると考える。

「始まりがあるものは、すべて終わりがある」。

この運命に向き合って、とりあえず、人類がどうすれば、この100年を生き残ることが
できるか真剣に考えなくてはならいようである。


12-01-31 大阪 大地震両川口津浪記
 嘉永7年(西暦1854年)に起きた「安政東海地震」・「安政南海地震」は巨大地震でした。
始め東海で地震があり、翌日南海にも地震がありました。規模は、両方とも8.4Mと
推定されています。
地震と津浪は、東海・南海に広く甚大な被害をもたらし、これを伝えるものが各地に
残っています。
その一つに、大阪市内、木津川に架かる大正橋のたもとに立つ「大地震両川口津浪記」
の碑があります。

碑は、大阪の道頓堀の繁華街から西へ2キロ半ほど行ったところ、大正橋の東詰にあり、 高さが2メートル近い四角い花崗岩の柱です。黒く汚れているように見えました。 この碑の伝える地震の様子は、   安治川は勿論、木津川別而はけ敷、山の如き大津波が、雷のような大音響   をたてて木津川、安倍川を遡上し、東西・南北の掘割に泥水が押し寄せた。   大小の船が流れ、橋が崩れ、多くの家屋が押し崩されていった。   山のような破船のしたで夥しい水死者が出た。   道頓堀川では、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋が崩れ、大黒橋では大きな船   が横倒しになって塞ぎ、川下から入ってきた船が次々に乗り上げた。   特に、前日の地震、当日の地震で、多くの人々が小船に乗って、家屋の倒壊   の難を逃れようとしていたので、水死者が多くでた。   実は、この地震のあった147年前の宝永4年(1707年)にも同じような地震が   あり、船に避難して、大勢の人が死んだ。   年月がたてば、そのことを伝え聞く人もほとんど無く、今また、同じ場所で多く   の人々が亡くなった。悔やまれることだ。   地震が起きた時は、船に逃げるな、火の用心をしろ-----    この碑は、地震の翌年(安政2年)に、地震とそれに伴う津波によって犠牲となっ た人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐために、地元が立てたものです。 碑文の最後のには、「この石碑の文字がいつも読めるように毎年この石碑の文字に 墨を入れよ」とあります。 いまでも、幸町5丁目の人々は、毎年地蔵盆になると、石碑をきれい洗い、文字に 墨を入れて、お守りしているとのことです。 参考: 寒川旭、「日本人はどんな大地震を経験してきたのか」、平凡社新書、2011年 大阪市のホームページ
財団法人消防科学総合センター
阿房列車ピクトリアル(碑文の全文あり)

12-01-27 iPhoneアプリ作成
 1.iPhoneアプリの作成方法

iPhoneアプリケーション・プログラムの作成の方法には、2つの方法があります。

それは、
  (1) Macを使い、Objective-Cでネイティブアプリケーションとして書く。
  (2) HTMLとCSS、JavaScriptを使い、Webアプリケーションとして書く。

 ネイティブアプリケーションを作るには、MacとXcodeという開発環境が必要です。
出来上がったプログラムは、iPhone固有のiOSのもとで動くので、AndroidOSのもとでは
動きません。
 Webアプリケーションでは、原理的にはWebページを書くのと同じです。
 出来上がったプログラムは、Androidスマートフォンでも動かすことができます。

 今回は、Webアプリケーションとして書く方法をとりました。

2.Webアプリの場合

 Webアプリケーションを書く場合には、

  (1) ユーザーの画面タッチに応じた動作をJavaScriptを使い、指定する。
  (2) 画面上に見栄えよい文字、ボックス、ボタンをCSS(Cascading Style Sheet)を
    使い、配置する。
  (3) プログラムをインターネット上のWebサイトに置く。
    つまり、Webサイトが必要となります。
  (4) また、Webサイトで、iPhoneからのデータを受け取ったり、
    iPhoneにデータを返すことが出来る。

3.今回作成のプログラム

 今回は、iPhoneのGPSを使い、自分の現在位置をサーバーに送ることと、
 後でサーバーに送られた現在位置を検索することを行えるようにしました。


 このため、プログラムに装備した機能は、     (1) 現在の自分の位置情報を取得   (2) 現在位置の地図を表示   (3) 地名を取得   (4) Webサーバーに位置情報を送る   (5) Webサーバーでは、送られたる位置情報をデータベースに記録する   (6) Webサーバーは特定の相手に位置情報が来たことをメールで通知   (7) Webサーバーは、検索に応じて記録されている位置情報を表示 4.感想、その他、   (1) プログラムを書いているとき、JavaScriptとサーバーのロジックの       実行タイミングの違いに頭を切り替えるのに多少手間どった。   (2) 位置情報の扱いは、HTML5 Geolocation API、Google Maps APIを使い、       簡単にできた。   (3) CSSでは、Diego Martin LafuenteさんのUiULKitをフレームワークに使った。   (4) 利用した参考書:   佐藤信正、はじめて作る人のためのiPhoneウエブ・アプリケーションforWindows   (5) MacBookAirにGPS機能が付いていることを発見した。

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